川越で太田道灌と御手杵にすれ違う
刀ミュ「東京心覚」が千秋楽を迎えました。
今までとだいぶ趣向が違うな、と思いながらも、やはり根幹には刀ミュのややこしい人(刃?)間模様が描かれていました。
個人的には「世代交代」が裏テーマかな、と思ったり。
ふんわりと、舞台ごとに小さな変化を重ねてきた刀ミュがこれからガラリと変わると思う。
青江単騎をラストまで見た人は、その片鱗を感じたはず。
「東京心覚」に出てきた歴史上の人物は、天海和尚(または明智光秀)、勝海舟、平将門、太田道灌。
平将門の首塚は皇居、すなわち江戸城と目と鼻の先である大手町にありますね。
だからタイトルに「東京」があるので「これは呪いの話だ」と理解できます。
天海和尚が出てきた時には、「麒麟がくる」の血が騒ぎました。
太田道灌は江戸城の築城に大いに貢献した人物。
川越に刀の展覧会を見に行ったのをきっかけに太田道灌のことを知っていたので、まさか刀ミュに出てくるとは思いもよらずびっくりしました。
刀と太田道灌なんて直接的な関わりないじゃないか。
江戸城と同様に、川越城も太田道灌によるもの。
そのため川越市役所前には太田道灌像が立ってます。
写真を撮らなかったことを激しく後悔しています。
現在も川越城本丸御殿が残っていて、そこにはレプリカとはいえ、御手杵の「鞘が邪魔くさいんだよなぁ」の鞘があります。
御手杵の昔の持ち主は、徳川家康の息子で松平秀康こと結城秀康。
その結城秀康を祖にして越前松平家ができ、御手杵はずっとその家系が所有していました。
そして秀康の子孫の越前松平家が1767年に川越に移り、そんな縁があるので川越城本丸御殿に鞘のレプリカがあるみたいです。
ちなみに、結城秀康の六男の家系が、明石国行のいた明石松平家です。
いま太田道灌を大河ドラマの主人公にしよう、という署名活動をしているみたいです。
叶うと良いですね。
刀ミュで太田道灌が気になった人は、外出自粛の日々が終わったら川越に行ってみたらいかがでしょうか。
ついでに川越市立博物館にも刀がいろいろと展示されているので、そちらもお忘れなく。